日記:2002年10月

最終更新:2002年11月8日 22:30



  ↑↑トップページへ
安形氏にめいる
←前月(2002年09月) ↑日記のページへ 翌月(2002年11月)→

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

10月31日
(木曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌月
 
↓前日

  (朝,Panyaさんと協議したところ11/1はダメらしい.11/2は忙しいそうだが小森さんは引き受けてくれた. チャーターしたワゴンに松本さん沖さん芳村くん花崎君木口君高橋君チャヤニスさんと乗り込み,巡検.寺院に行って本当の拝み方を習い,王宮に行き,地形を観察し,洞窟に行き,予想以上に細い川を渡ってミャンマー入国.パスポートを預けなければならないのはちょっと心細いものであった.黄金の三角地帯でメコン川に対面.なんという水の量だろう!意外と流速があって1.5m/s.モーターボートでクルーズ.水面に手が届くほど目線が低いのだがとんでもないスピードがでて楽しい.一瞬だけラオス領土に上陸.パスポートコントロールがない.河岸の側方侵食が激しい.よく淘汰された細砂の層.礫を積み上げた水制もあった.現水面から+5mのところまで新しい洪水痕跡.夜,チェンライからBangkokへ.)

10月30日
(水曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (ワークショップ二日目.ほかにろくな服はないので背広で通す.プールサイドでお別れパーティ.しかし楽しむ余裕はなかった.Takタワーのメイルシステムが止まっているらしく,対応を協議していた.Panyaさんに連絡したところなんと夜にもかかわらずWichaiさんに行ってもらうことに.彼かれの連絡はパーティの真っ最中.電話の充電が切れていたらしい.電話をACで充電し,スクリーンロックを解除したら復活.とりあえずバッチを手動で動かしてもらう.電話ではなかなか伝わらず,何回もバッチが実行されたらしい. あれやこれやと対応を協議.チュラロンコーン大の小森さんが11/1に近くを通るというので行ってもらうことに.)

10月29日
(火曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (ついに背広登場.そして昨日買ったばかりのスニーカー.GAME-T2ワークショップ一日目である.朝のセッション,二人目の登場.GAME-Tデータベースの紹介,CD-ROMの宣伝,NRCTサーバの紹介.プーケットの時と同じように,タイ語で書いた自分の名前を大きく印刷した紙を胸の前にぶら下げて歩くサンドイッチマン. RIDのPanyaさんから,EGATの方を紹介される. 夜懇親会ではPCカラオケシステムが登場. 虫明先生の昴はおなじみ. 大抵の人が出てゆきタイ人がほとんどになったころからタイのスタッフが盛り上がり始める.全員で合唱である.なんと楽しい生き方なのだろう.安形も最後まで付き合う.多少はタイ語も読めるように鉈.最後は心落ち着く静かな曲で締めくくられた.聞くと,王族を賛美する歌なのらしい. 増田さんとなおも飲む.音楽の話で盛り上がる.タイ現代音楽.)

10月28日
(月曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (もう一度Takタワーへ.メイルアドレス修正,Hyungjun君がファイル数を増やしたらいきなりzipができなくなった.コマンドラインの長さが長すぎたらしい.すっかり忘れていたが126文字が限界なのである.For文を使って問題回避.この時点でタイムアップ.11時頃タワーを出発して空港へ.今回は全くタワーに上らなかった.天気は午前中ずっとしとしと雨.空港へは晴れたり曇ったり.一度バンコクへ戻る.靴を周辺で探すと,ドンムアンの町の雑貨屋で見つかった.ただしスニーカー.チェンライへの便は,GAME-TのVIPだらけ.Chulalongkorn大の橋爪先生と再会.さっそくPCの話が始まる.機内ではkakithaiでタイ文字画像を仕込む. チェンライでの宿は,Dusit Island Resortという,高級リゾートホテル.)

10月27日
(日曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (早起きしてバッチファイルを仕込む.Scpでの通信を狙っていたが,沖さんにメイル添付ファイル作戦はどうかと打診される.どこからでも携帯でInternetにつなげられるのは大きく,コマンドラインからメイル送信ができるプログラムをちょっと探すとほら見つかった.いくつかある中からblatを選んだ.メイルサーバはISPのものを使い,試してみる.本当に送れた.添付ファイルも完璧. 早速バッチファイルを修正.見事に送付成功. Hyungjun君がタスクを組み,夜中に自動実行させることを試みる. 夜1時頃確かめたら本当にメイルが来ていた.乾杯.)

10月26日
(土曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (Takタワーで作業.USBのデバイスを入れようとしたところOSが凍る.リセットしたところファイルシステムが飛ぶ.結局新しいHDDを買い,そこにOSを入れなおし,これまでのHDDはデータ専用として使うことにする.SukhothaiのPCショップでHDD購入.OSを入れ,要らないボードは全部とりはずし,クリーンな状態でモデムをインストール.携帯電話での通信成功! 夜はWichaiさんお薦めの店「アンパイ」へ.今まで知らなかった美味しい料理をたくさん覚えた.)

10月25日
(金曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (宮崎さんとWitchaiさんがついに謎を解く.コールセンターに電話してデータ通信許可を出してもらう必要があった.電話屋店員も知らなかったらしい.TG168でPhisanulokへ.Witchaiさん,Kimさんらと再会.夜データ通信ができることを確認してからいつものBarへ.pscpを使ったコマンドラインからのscpは実に快適.)

10月24日
(木曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (宮崎さんはピサヌロークで携帯を入手.SiemensのC45.これは後で分かったがいい選択だった.安形も夕方パンティップへ.道がすいていてTaxiの運転手も吃驚.C45を4800Bで購入.データケーブルも購入.夜試したがISPにどうしても接続できない.Why?)

10月23日
(水曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

  (AITのACRoRSで作業.UPS設定など.宮崎さんがパンティップに行き,S40がまるで使い物にならない機種であることが判明.宮崎さんはピサヌロークへ.)

10月22日
(火曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日

  (徹夜して,早朝車で帰る.そのまま準備して成田へ.めずらしく成田エクスプレス.空港でのレートは1バーツ3.3円.TG641,B77-300は満員.15:30バンコク着.激しい雨.空港ではPerapolさんが迎えに来てくれていてちょっと吃驚.空港でのレンタル携帯ではデータ通信ができないことがわかり,携帯を買いに行く.店員が妙に熱心に薦めたのはSiemensのS40だが,これはあとで食わせ物だったことが分かる.宮崎さんと打ち合わせ.AITのゲストハウス泊.)

10月14日
(月曜日)

↑↑先頭へ

アンニョンヒガセヨ

  韓国選手団と一緒のバスにのり,富山空港へ.

  その前に,会場前のホテルでは野外の結婚式があり,新婦が写真撮影中だったので私が日本の花嫁衣裳と結婚習俗について説明するハメになりました.

  帰りの飛行機は向って右側の窓際.しかし残念,翼でほとんど視界がないところです.

  それに実は,かなり雲がかかっていて,遠い遠い富士山以外はほとんど山が見えませんでした.

  めずらしくリムジンバスなんて使い新宿へ. そのまま研究室直行.

10月12日
(土曜日)

↑↑先頭へ
 
↓前日

アジアはひとつ

 [アウトドア] なんだかんだで結局1時まで飲み(結局それかい),床に寝て早起き,そのまま業務に突入です.

  まずはスタッフとスケジュールについて入念な打ち合わせ.At-a-glanceなスケジュール表を作るのは私の役目です.表が出来たらあちこちに張り出します.この時,選手には秘密にしておかねばならない事項もあるので,スタッフ用と一般用と二つ作ります.

  いくら入念な打ち合わせをしても結局本番ではズレが生じます(涙).しかし今ここでこうやって細部まで全員とスケジュールを詰めておかないと後になって臨機応変な対応が出来ないのです.

  さて,開会式です.今回は10の国・地域(中国・中華台北・香港・インド・韓国・日本・マレーシア・モンゴル・フィリピン・シンガポール)から72人の選手が参加です.まずは全選手が,地元の子どもたちとひとりひとり手をつないで入場です(あとで,選手たちは子どもたちからサインぜめにあっていました). 厳しい戦い前の,ちょっとほっとする光景です.

  県知事などエラい方々の挨拶が続きます.地元総出でのバックアップです.本当にありがたいことです.

  競技の方は,今日はスピード部門の予選とディフィカルト部門の準々決勝(実質的には予選)です.

  スピード部門は,登る速さを競うもので,日本ではまだ一般的ではありません.本物を見ていただくと分かりますが,トップクライマーはまさに超人的な速さです.ちなみに世界的に見てロシアを含む旧ソ連諸国が強いですが,香港や東南アジア諸国もかなりレベルが高いです.

  競技は,一人が二つのルートを登ってその合計タイムで順位をつけます.今回は垂直の16mの壁が用意されました.素人ならば一本で1分弱かかるでしょうが,早い選手だと15秒をきるタイムで登ってゆきます.今日のレコードは10秒95.明日の決勝トーナメントではたぶん一桁秒台がでるでしょう.

  安形氏は号砲係でした.選手と計時スタッフ全員に聞こえるように「Ready?」と聞きます.つぎに「Attention!」と叫びます(というかready?も極限まで大声で言っている).それから2秒弱でピストルを撃ちます. 今回は空砲がなくて助かりました. たまたま耳栓を持っていたので(というか常備している)耳には影響はなかったです.

  男子20名中16名,女子10名中8名が明日の決勝トーナメントにコマを進めました.

  ディフィカルト部門は,うって変わってスピードは一切斟酌されず,落ちずにどこまで登ることができるかを競う競技です.日本ではこれがさかんです.ルールの性格上,ルートは極限まで難しく設定されます.素人ならば3手くらいで落ちるでしょう. 出場している選手は一応各国の代表クラスですが,それでも上部に到達できる選手はごく一部です.そして,明日の準決勝・決勝ではさらにルートは難しく設定されます(決勝ラウンドで使われるルートともなると,経験のない方は出だしから一歩も進めないでしょう)

  普通アジア大会は日本国内の大会よりレベルが低く設定されるのですが,今回は国内大会とほぼ同じレベルの難しいルートができていました.女子ルートが特に人々の度肝を抜いたでしょう.何しろ上部は完全に水平,選手は天井裏を這いまわるような体勢のルートだったからです.

  男子38名,女子29名の中から,それぞれ26名が明日の準決勝にコマを進めました.この「26」というのは国際基準で決まっていて,今回はそれに従ったものです.

 [ひと] 私事ですが,今回は国際公認競技審判員としての初仕事でした.これまでは,「試験には合格した」という内定段階だったのですが,ちょっと前に開かれた国際山岳協会(UIAA)の競技クライミング委員会(ICC)の会議において正式に承認されたのです. ちなみに日本では二人目.

  アジアのほかの国からきた国際審判員とともに,この大会を運営してゆく係でもあります.今回の相棒は,韓国のKimさん.昨年のクアラルンプールでは,こちらが研修審判員,向こうがその指導役という立場でした.

  夜は韓国からもう一人のスタッフ,ルート設定者(ルートセッター)も含めて日韓友好一気のみ大会.どっちが勝ったんだかよく分からないうちに就寝.

  そう,明日はもっときつい仕事がある.

  今日は一日よく晴れた気持ちのいい日でした. 選手宿舎はちょっとした山の中にあったのですが,そこは景色が広大だったので,国土が狭い香港やシンガポールの選手は大喜びだったそうです. 役員は会場すぐそばに泊まりました.別に会場そのものでもよかったんですけどね.

10月11日
(金曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

中部山岳ひとっとび

 [身体と健康] 鼻血が止まらん.

  我々男性陣はよほどの怪我や病気でない限り大量の出血というのはなかなかしないものですが,鈴木ムネオ議員に対抗して「怪我のデパート」と化した生きかたを送ってきた安形氏は,これまでにかなりの量の血を大地に還元してきました.

  でもここ2年はそれほど大した怪我がなく,つまらないというか一安心と言うか. 何はともあれ久しぶりに見た自分の血は,自分が哺乳動物の一員であることを思い出させてくれたものです.

 [地形・地質] いきなりですが,富山ファンになりそうです. 原因は東京−富山便の風景.

  B767の「12A」席−進行方向向って左側窓際−から見えたものを順番に書いてゆきましょう.

  羽田を飛び立ったらレインボーブリッジあたりで右に旋回,東京湾アクアラインの木更津側入口を見下ろすようにしたあと西に向います.三浦半島,鎌倉+江ノ島+相模湾.いよいよ前方に聳え立つ富士山.

  巨大な宮ケ瀬ダムの上を通り,相模湖・津久井湖あたりの見事な段丘地形を眼下にするとますます富士山が大きくなります.光っているのは山中湖,続いて河口湖・西湖も顔を出します.その五湖に向って,猿橋熔岩流上の桂川が緩く蛇行しながら登ってゆきます.

  南アルプスが近くに見えてきました.間ノ岳の膨大な山容が印象的です.激しく土砂を流す川が見えてくるとそこは甲府盆地奥秩父の真上を越え,八ヶ岳はちょうど麦草峠のヘアピン連続地帯の真上あたりで通過します.次に遠くに見えてくるのが諏訪湖.雲海の向こう,はるか遠くに頂きが見えるのが中央アルプス御岳でしょうか.

  松本盆地に入りました.盆地東縁の活断層がつくる断層地形(ちょっと見にはどうということのない丘だけど,見る人が見ると…).西縁の見事な開析扇状地(たぶん梓川).

  梓川といえば,次は上高地・涸沢穂高岳の峰峰をこれほど「近く」から見たのは始めてでしょう.先日白山あたりから見たときにはずいぶん遠かった.槍ヶ岳の少し北を通過し,延々と北アルプスの高山帯が続きます.北側斜面にはもう雪がありました.

  北アルプスを越えると,大きな貯水池.一目で分かる特徴的な湖岸線は有峰湖.再び見事な扇状地が出てきたあと,今度は一転して大ゴルフ場地帯.地図では富山空港は近いのになぜかあらぬ方向に飛んでいってしまい,能登半島方面へ.半島の付け根には高岡・氷見の市街.

  半島を左に見ながら右に大きく旋回.これまでなじみがなかった能登半島の地形をたっぷり観察.南に向ったら富山平野がよく見えます.大きな川が真中を流れ,河口付近では海岸線が海に向って膨らんでいます.これは神通川

  富山の市街を越え,川沿いに高度を下げると富山空港.ソウルからも直行便がある国際空港です.

  これからさき,勝手に理由をつけてこの便に何回も乗ってみたい,そう思わせてくれる光景.一時間の極上の旅でした.

 [アウトドア] 高岡に出て,高校生の群れに囲まれて,城端線の気動車に揺られる.ちなみにその時手にしていた本は宮脇俊三氏のデビュー作「時刻表20000キロ」だったりします.

  1時間の旅でついたところが城端.明日から,スポーツクライミング・アジア選手権の舞台となる町です.

10月10日
(木曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

腹が痛い

 [身体と健康] 研究室泊まり.朝,いや,昼起きると何だかわき腹が痛い.何なんでしょう.でも何か懐かしい感じのする痛さ.昔こういう痛みを感じたことがあるような.

  そうか,思い出しました.子どもの頃,笑いすぎておなかが痛くなったあの感じ.横隔膜の引きつる感じといえばおわかりいただけるでしょうか?

 [アウトドア] 週末は富山県城端町でスポーツクライミングのアジア選手権があります.アジアでは数少ない国際公認審判員として,行ってまいります.日本選手もたくさんでますが,採点競技ではないのでべつにホームタウンディシジョンが行われることはないでしょう.公平・公正. それから競技の性格上,安全という点には本当に気を使わねばなりません.

10月09日
(水曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

水/データ発掘

 [水][食べる・飲む] オンザロックの氷を見ながら考えた.「スーパーカミオカンデの水って,いつか売り出されないだろうか?」

  …結構偽モノが出回ったりしてね(笑)

 [研究] 先日研究室の片隅から「発掘」された大量のFD.中には5.25インチのものもある.100枚はあるのでじっくり中身を見ようと思っていたのですが,さっきふと覗いてみたら,これまで全く存在を知らなかった,TMDの気圧データがあるではありませんか!

  と言うわけで急ぎこの100枚の中身のリストを作っているところです.

  現在までに処理済みのFD類も含めて,Webに公開しましたが,これはGAME-T内限定なのでURLはヒミツ.

10月08日
(火曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

異国でボールを追う者たち

 [サッカー] バロンにペツェルにアン・ジョンファン.

  わが清水エスパルスの外国人トリオが先日の札幌戦に揃って登場.

  めずらしくケーブルTVでやっていたので,つい見てしまいました.ひさしぶりに3点とりました(というより第2ステージに入って2点とったことがなかった!FWの補強を急いだのには理由があったわけです).セットプレーはイタダキというペツェルの大きさを実感.アン・ジョンファンはまだチームに合流して間もないのでコンビネーションはまだまだでしたが,流れるようなトラップにその才能の片鱗を感じました.ゴールを決めたら結婚指輪に口付けをするという有名なパフォーマンスはもうすぐ見られるでしょう(この日は夫人も観戦していた).

  でも,日本平の芝の状態は,何とかならないものか.清水人としてちと恥ずかしい.

  12日は東京スタジアム(調布)で東京Verdyと対戦.昔「探検」しにいったカントウ村跡地は,いまどうなっているのか.そういう興味があるので行ってみようかと一瞬思ったけど,残念,その日は富山にいるのです.

  (後日記:9日に行われたアジアチャンピオン選手権予選ラウンドで,安貞桓がエスパルスでの初ゴール)

10月07日
(月曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

都市伝説

  医学系の都市伝説を集めたサイトを見ていました.

  ディハイドロジェン・モノキサイド(DHMO)という恐怖の物質に関するネタがありました.

  さあ,読んでみましょう.ね,本当に恐い物質でしょう?現在法的規制がほとんどかかっていないことが信じられないくらいです.

  ・・・・・・さて,いつネタバレになるか.

10月06日
(日曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

だから掃除が進まない

 [文献] 古い雑誌を処分しているところです.

  で,お約束のように,掃除をほったらかしてその雑誌を読むのに時間を使ってしまいます(笑).

  昔のESSEから,笑ったもの2題.まず家にある多すぎるものの処分法特集.読者からの投稿.

  「多すぎる皿の処分法.夫婦喧嘩でやり込められたら,腹いせに何枚か割る

  次はプロポーズ特集.爆笑ものの投稿.「私,プロポーズされていません」から始まります.

  その主婦は,結婚前は声のそっくりなお姉さんと同居していて,で,彼氏が酔っ払って電話をかけてきたときお姉さんが出た.彼氏は気づかず本人だと思い込んでプロポーズ.

  そのあまりの真剣さに,お姉さんは「私じゃないんですが」と言えずに,なんとハイと言ってしまった

  実話かどうかしらないけど,面白い話があるものです.

 [生活] 結局部屋はあまりスッキリしませんでした(笑)

10月05日
(土曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

モバイラーへの入口

 [電子・コンピュータ] リヴェンジに向けての必勝体制というわけで,下旬に(再)設定し行くタイ国某所観測データリアルタイム受信システムの「予行演習」を国内でやってゆくつもりです.

  「せっかくだからPCに携帯を接続してそれに着信接続することまで含めて国内でやってみよう」と色気をだしまして,それならこの際自分用にノートPC−携帯電話接続コードを買ってそれを使ってテストしよう,となりました.

  結構いろいろな製品が出ているので目移りしましたが,結局買ってきたのが,I/O DataのUSB-cdma

  つないで,ドライバインストール,モデム欄に本当にこれが出てくる.ダイアルアップで接続.115Kbpsでつながったと称するメッセージがでてきました.でもなんだか遅い.

  まぁそれでもこれでモバイルダイアルアップの手段を手に入れたことになります.

  実は今までそういう手段はもっていませんでした.外出先出までメイルを気にしたくはなかったからです.しかし昨今の情勢はそれを許さないものとなりました(泣).

10月04日
(金曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

ふたたび脚光?

 [研究][電子・コンピュータ] 偶然なのかそうでないのか,SiB2やSiB2-paddyについての問合せが続けざまに来ました.

  それで思い出したのだけど,昔「SiB2のしくみ」について和文でドキュメントを作り始めて,で,途中で止めていたっけ. これをとりあえず紹介しておきました.

  このモデルを最初に作ったP.J.Sellersという人はNASAの研究者だったのだけど,その後宇宙飛行士に転向し,なんと来週宇宙に向って飛び立つのだそうです.

10月03日
(木曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

言い訳ではないけど

 [ひと][食べる・飲む] 意外な大反響があったので念のため釈明しておくと…

  先日のケーキ屋は,自分のウェディングケーキの件で行ったのではナイです.要確認ね.

 [文献][電子・コンピュータ][生活][食べる・飲む][身体と健康] 人間が摂取した糖分は単糖類にまで分解されたのちにブドウ糖となって体のあちこちで利用されます.あまったら肝臓のグルコースになり,さらに余ったら肝臓で脂肪に変えられ体に蓄積したり…となかなか千変万化,結構ブドウ糖というのは使い勝手がいい物質なのかもしれません.

  なんだかさまざまなデータを咀嚼してデータベースを作る過程に似ていなくもない.「取り扱いやすい最小単位」まで各々のデータを分解し同じ形式で揃えるのが大事なのです.

  その「最小単位」の見極めが,実はプロの技.

  さて,逆に血液からブドウ糖が少なくなると今度は肝臓にグルコースとして貯金されていた分が使われ,それも涸渇してきたらいよいよ脂肪が登場.現金と当座預金と定期預金という感じ?

  なんでこんなことを書くかというと,留守中にESSEの最新号(2002年11月号)が届いていたから.特集は「血液さらさらダイエット」.

  血液がいわゆるサラサラ→代謝がよい→脂肪がよく燃焼→ダイエット というのがその論理(かなりアヤシイ). 脂肪がよく燃焼ったって,燃焼で得られるエネルギーは,果たして生体にとってその時に必要なものなんでしょうか.必要ないときにかってに燃えられても困るのですが.

  朝日新聞に「やせの大食いを具現するタンパク質」の記事が載った(http://www.asahi.com/science/news/K2002100200199.html )時にも同じことを思いましたっけ.

  でもまぁ,実は特集のほとんどはたくさんのレシピ紹介でありまして,これは個人的には実用上便利(いろいろな能書きはとりあえず全部読み飛ばす). 食材としては「おさかなすきやね」がキーワードだそうです.お茶魚海草納豆酢キノコ野菜ネギの頭文字.

  最初っからレシピ特集にすればよかったのに,それでは売れないんでしょう,きっと.

  本は例によって最初に広告を切り落とし,ダイエットさせてあげました.今は台所に置いてあります.

10月02日
(水曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前日

疲れはナシ

 [食べる・飲む][身体と健康] 28日から3泊4日の山行(白山)は,特に最終日は台風の影響で雨でしかも崩壊地のやせ尾根を下る(登るならまだ恐さは減じる)という状態だったにもかかわらず,降りてきたら足はなんともないし全身の疲れもいつもの山行にくらべればずっとまし.

  理由は何でしょう.いろいろ心当たりはあるけど,

  1. いつも以上に疲れたらとっとと休むを実践していた
  2. 朝晩は二食分弱食うという原則を今回も貫いた
  3. これは今回始めての試みで,ブドウ糖結晶をやたらぼりぼりかじっていた
  4. これまた今回始めて導入した,ウィダー鉄タブをお菓子代わりにかじっていた
などなど. どれが効いたのか分かりようがないし,実はどれも関係ないのかもしれません.歩き方の省エネ度がアップしたのかもしれないし.

  なお上記のような悪路はかなり少数で,全体的には登山道は良かったです.心のこもった整備状況には本当に頭が下がります.さすが白山というべきなのでしょうか.

  あと,そうそう,ガラガラの夜行列車で背もたれを最大限倒し足を前に完全に伸ばして寝たため,快眠快眠.100%の状態で東京に着いたのでありました.

  鉄タブは,実は単に味が好きなだけ.大貧血といった状態ではないので念のために.

 [研究] 金沢出発のその日にとどいた計算結果を急いでとりまとめ,研究室セミナで発表.山から下りてきてその日に発表なんて,学部生のとき以来かも.

10月01日
(火曜日)

↑↑先頭へ
 
↑翌日
 
↓前月

  (ゴマ平避難小屋→念仏尾根→妙法山→もうせん平→野谷荘司山→鶴平新道→大窪集落→鳩谷八幡神社・麝香杉の湧水→白川郷・萩町合掌造り集落. ここからはバスで金沢へ.金沢から夜行で帰京. 車両にはなんと私一人)

  ↑↑トップページへ
安形氏にめいる
←前月(2002年09月) ↑日記のページへ 翌月(2002年11月)→