8月2日(番外編)

−本山町の地形と災害ポテンシャル−

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本山町の地形

一夜を無事に過ごして

土石流危険渓流

 

 朝になると雨は弱まっていました.早起きして散歩です.実は朝食の後も時間があったので周囲をぶらつきました.目的はこの町の地形観察です.まず,宿の横を流れていた川が土石流危険渓流に指定されていることの証拠写真.さて,なぜこの川が危険なのでしょうか.普段は幅2m弱の,一見どうってことない小川なのですが(写真で見ると,駐車場の手前を流れている.わからないくらい小規模ですね.なお,手前の舗装していない空き地が,微妙に右側,つまり小川の下流側に傾き下がっていることに注意してください).



地形観察は,全体を見よう

本山町遠望

 その答えは,この町を遠くから見たときに明らかになります.できたら見下ろしたほうがいいのですが,さすがにそんな場所はありませんでしたので,近くの吉野川の橋の上から遠望しました.

 宿は,写真のほぼ中央にあります.町全体が,山すその位置する吉野川の段丘上にあるのですが,少なくとも山側半分は傾斜していることが分かるかと思います.そのうち,役場や消防といった重要な施設がいくつか山側の傾斜がきつい方にあります.こういう大域的なセッティングを覚えておくと,地形を見るのがかなり楽になります.目の前にある地形(坂とか崖とか)がいったいどういう意味を持つのか把握することが容易になります.このように全体の中で目の前にあるもの(あるいは自分自身のいるところ)がどのような位置関係にあるのか把握しながら考えを進めること−つまり地理的思考−が,現実のフィールドでは不可欠なのです.
本山町・傾斜変換線

 山側の勾配付き緩傾斜面(段丘面というよりは,沖積錐っぽい感じです)からさらに山側を見たときの写真です.写真中ほどから奥に向かって急に傾斜が増し,その奥に山地斜面が控えていることが分かるでしょう.で,実は昨夜の宿は,この傾斜が変わる線の上に立っているのです(写真奥にある交差点のずっと左のほう).つまり山地を一気に流れ下ってきた川が,急にその傾斜を減じるポイントに立っているのです.また,役場も似たようなシチュエーションにあります.しかも,この変換線自体に沿っている道(宿も役場もこの道に面している)は旧街道とのことでした.

 これはいったいどうしたわけでしょうか.防災上の常識からみると,もっとも危なっかしいところに集落の中心があるわけです.


災害ポテンシャル

地形から危険を読む

 なぜこういうところが危ないのか簡単に説明します.土石流というのがそのキーワードです.土石流は,大量の土砂が泥水と共に斜面や谷川を流れ下ってくる現象です(ただの水ではなく比重の重い泥水なので,岩が浮き上がりやすいのです).よせばいいのに流れの先頭に巨岩があることが多く,これが破壊的な力を発揮してくれます.日本の山ではよく起こることですが,人里近くではそうそう起こるものではありませんでした.また,仮に起こったとしても,そのような土地は言い伝えやらなにやらで禁忌の地となり,使用はされてきませんでした.

 ただし,災害が起こる間隔自体が数百年といった場合もあるので,そのような場所は言い伝えも忘れられているものです.さらに最近では,そういうアブナイところに,そうとは知らずに−いや,下手するとデベロッパーは知っていたのかもしれないが−新しい街ができています.それまで未利用の土地に自由自在にデザインされた街ができるのですから,これはきれいです.立派です.しかも土地は安いです.が,そこには潜在的な危険が潜んでいるのです.そう,豪雨の時に襲ってくる土砂災害です.

 もちろん建設省や自治体も手をこまねいているわけではなく,それなりの予算をつけて防災工事はやっていますがとても間に合いません.結果として,今なお全国数十万箇所に潜在的な危険が残っています.そういう危険個所は「土石流危険渓流」として指定されています.

土石流を知ろう

 では土石流とはどのようなところで起こるのでしょうか.当然.雨が降ってきたときに動き出す風化物質(砂や泥や礫や)がなければいけません.また,もちろん何らかの傾斜が必要です.日本の山の場合,大抵風化物質は溜まっていると思っていいでしょう(おっと,専門の方怒らないで下さいね(笑)).問題は傾斜の方です.どこでも起きるとは限りません.

 もったいぶらないで結論をいうと,おおよそ30度で発生し,谷を流下し,川底の勾配が3度〜4度になったところで止まります.つまり山の中で発生した崩壊(最初はとても小さいものであることがあります)が引き金となって土砂が大行進を始め,人家を破壊し,本山町役場程度の傾斜でも止まらず(上の写真をよく見てください.街自体が乗っている地面の傾斜が3度や4度どころではないことが分かるでしょう)もう少し下まで行ってやっと停止するのです.

 そして,実はこの地面の傾斜自体がすでにいろいろなことを教えてくれます.この傾斜は吉野川の上流に向かって下がっていますから,吉野川が作った傾斜ではありません.山から来た土砂が作った傾斜です.ということは,そうです.この土地自体,過去に起きた土砂災害(そのころ人間がいなければ「災害」とは言わないですが)でできたものである可能性があるのです.

 土石流が来るような川はさぞかし大きな川だろうと思ったら大間違いです.普段どうってことのない,下手すると水のない(この点は後述)川が,豪雨時に大暴れと言うのはお約束なのです.全ては勾配と背後の山の状態で危険度が決まるのです.宿の横にあった小川は,まさにそういう川なのです.というより,山の川ならどこでも起きると思っているくらいでちょうどいいでしょう.家の裏に山がある方,しかも谷の出口に家がある方(たとえその谷が普段は静かそうでも,水がなくても)要注意です.

 なお,土砂生産量が多くて川底にたくさんの土砂が溜まっているような川では,普段は水はぜんぶその土砂に染み込んで表面を流れません.実に静かな川に見えます.全国にある「水無川」という名前の川は,こういう川がおおいです.そしてそれらは,豪雨時に突然暴れだすのです.

ただし問題はそう簡単ではない

 そこで,上述のようにとても困惑する問題に出会います.なぜそういうところに人々は住んでいるのでしょうか.もっと吉野川に近い,傾斜の緩い,金輪際土石流が来ない平らなところに住めばいいのに….そして,旧街道がなぜわざわざ山際に作ってあるのでしょうか.現実に高知屋さんの建物を見る限り,かなり長い間ここでは災害が起こっていないのです.宿の女将に聞き込みをしたところ(こういうときの地元情報というのは本当に役に立つもので,人見知りをするようではフィールド調査はできません(笑)),知る限りでは土砂災害は起こっていないとのことでしたが,大雨の時には崖から水が吹き出てきたことがあるという話でした.土層内の水が正圧になる!崩壊寸前です.それがどれだけ危険なことか力説しましたが,果たして伝わったかどうか…


下手な推理を試みる

 自然地理を学んでいた私の周りにはいつも人文地理の専門家がいましたから,門前の小僧なんとやらでなんとなく町の構造にもそれなりの見方があるんだということは知るようになりました.また,人間が必ずしも合理性でばかり動くのではなく,したがって町のつくりにも合理的な説明がつかないようなものがありうるということも知っているつもりです.

 が,それで思考を止めてしまうのはフィールド屋の名が泣くというもの.なぜこのようなところに旧街道が通り町が栄えたか考えてみると,一つの可能性に行き当たります. 本山町遠望

 実はこの点は,正確にはもう一度調査が必要なのでここで断言はできませんから,一応仮説として書くことにします.この写真は本山町を遠望したもう一枚の写真なのですが,吉野川に近い平らな(山からの土石流が来ない)部分には,なんだか新しい家が多いような気がしないでしょうか.少なくとも高知屋のような古い家屋は多くないように見えないでしょうか.もういちど調査が必要,というのは実はこの点でして,現場ではそれほど丹念に見ている時間的余裕がなかったのです.

 ここでは「平らなところには新しい家」という見方が正しいとしましょう.そうすると次のように仮説が仮説を(論理的に)呼ぶことになります:役場や高知屋や旧街道がある山際よりもこの平らな部分の方が,人が住んでいなかった→後者のほうが危ないと認識されていたか,あるいは何かで一回破壊されている→ではその危なさとは何だろうか→考えられるのは吉野川自体の洪水…
吉野川増水

 この日吉野川はやや増水していました.だから余計にそう考えてしまったのかもしれません.しかし,この仮説には一つ弱点があります.これもまた再調査が必要なところです.それは何かというと,本山町の平らな部分は段丘に見える,ということです(実際,今までは段丘と書いてきました).段丘ということは,離水している,つまり増水時にも水につからない安全な場所ということを意味します.ですからこの仮説とは合わないのです.これに関しては「護岸工事」「河床標高の変化」「堤防」といった河川工事の方面から調べてゆく必要があります.つまり河川工事により本山町の平らな部分が安全になり,それで新しく人が住むようになったのではないか,それまでは,まだしも安全な方だった山際を旧街道が通っていたというシナリオを描くことができます.

 このあたりのことは,現地に行く機会がなければそれこそ本山町史を見るしかないでしょう.宿題となりました.


自分の身は自分で守るということ

本山町対岸地すべり

 元山町市街の,吉野川をはさんだ対岸に面白い地形があります.集落が乗っている緩斜面は上方から地すべりないし崩壊の形で落ちてきた土砂が溜まったと思われるものですが,その上方(写真中央やや上)にその崩壊した跡の崖(地すべりの場合は,「滑落崖」といいます)が馬蹄形に見えているのです.

 となると集落がある下の土地は,一回「こなれて」いるわけですから,また動くポテンシャルが他のところより大きく,特に下に見えている川が足元をどんどん侵蝕した場合には注意が必要です.

 …ということを承知の上で,それなりの備えと心構えをして住んでいれば別にどうってことはありません.それは住む人の選択です.しかしそうでない場合はどうでしょうか.

 残念ながら,まだそうではない例が多いのではないでしょうか.読者の皆さんの中にはマイホームをお持ちの方がいらっしゃると思いますが,災害ということをどれくらい考えておうち(を建てる場所)を選びましたか?残念ながらそういうことを自分できちんと考えた方,あるいはその道のプロに任せた方は少ないのではないでしょうか.これははっきり言って地形学者(私を含む)の怠慢の結果だと思っています.地形から危険を読むというのは,ちょっと教えられればすぐに見ることができるものなのです.

 しかし逆にいえば,教えられなければ一生分からないものであるともいえます.ある程度プロに見てもらうか,自分で勉強するしかありません.それはタダというわけには行かないかもしれません.「水と安全はタダか?」という議論が,特に水資源の方では活発に行われています.水資源,ということはもちろん議論はこの言葉のうち「水」が主になるわけですが,では「安全」はどうでしょうか.この場合,おそらく安全とは「治安」に属するものなのでしょうが,すこし範囲を広げて災害に対する安全ということになりますと,日本の場合その安全は決してタダでは手に入らないのです.自分の身は(あるいは自分の大切な人の身は),自分で守るしかない.自分で勉強し,備えをし,訓練しなければ無駄死にするのです.それが社会の常識となるように地球科学者は貢献したいのですがなかなかそれが上手くいっているわけではない,というところに内心忸怩たる念を禁じえないのです.

 そういう重たい重たい朝の散歩でした.朝食の後の歩きでは何人かが付き合ってくれたのであまり暗くならずに済んで幸いでした.ちなみに翌日朝の散歩は,ハードながらも自分の趣味(笑)に思いっきり走ることができて楽しいものでしたが,それはまた後で.


(以下続く.)

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Text By AGATASHI