伊野から高知自動車道に乗って北上します.途中,平山トンネルにて国分川流域から穴内川(吉野川支流)流域に入ります.こんにちは吉野川!これからまる一日,私たちは吉野川と付き合うことになりました.大豊ICを下りて吉野川本流を西にさかのぼります.
おっと,雨です.降ったりやんだりでしたが,しだいに強くなってきました.なにしろわが研究室のスタッフには乾期のタイに何十年ぶりかの雨を降らせるなどの輝かしい実績により,世界中の気象学者を震撼させ,あらゆる気象シミュレーションに挑戦状を叩きつけた究極の雨男がいるのです(別に,だからスタッフに採用されたわけではない.念のため(笑)).昨日までの雨に,さらに今降っている雨を加えて,吉野川はかなり増水をしていました.車窓からは,高水敷の草をなぎ倒して流れる濁流がよく見えました.これもまた,川の一つの姿なのです.
見事な河成段丘を見ながらさかのぼってゆくと,本山町を過ぎ,そして早明浦ダムに至ります.一目みて「これは大きい」と思うような代物です.貯水池の有効貯水容量2億8,900万トン.億ですよ億!これは全国でも屈指の大きさ(奥只見・田子倉・御母衣各ダム貯水池に次ぐ)です.直線重力式コンクリートダムで,堤高106m.集水域面積は(汗見川取水分もあわせて)472km 2です.この日は,洪水調節用のクレストゲート6門のうち4門を開けて放流をしていました(約269トン/秒).実はこのちょっと前まではかなりの渇水が続き,水不足再来か!という事態だったのです.うーむわれわれが恵みの雨を連れてきたのでしょうか(笑).
雨は今も降ったりやんだりの不安定な天気.時折雲が晴れて強い日差しを受けました.これが後に思わぬ効果をもたらしたのでした.
ダム管理所に案内されて,いろいろな説明を聞き,質疑応答をしました.まず,吉野川全体の,いや四国全体の水運用というのはなかなか複雑なようです.吉野川というのは,基本的には高知県に源を発し徳島県を貫流するのですが,その水はすでに四国四県に行き渡っています.
まず,早明浦ダムより上流の支流瀬戸川および地蔵寺川から,水が鏡川(土佐湾に注ぐ)に導水されています.つまり高知県に分配.次に,吉野川上流の主な支流のうち一番北にある銅山川からは,新宮ダムおよび柳瀬ダムを経て愛媛に分水されています.最後に,徳島平野への入り口にある池田ダムから,香川に導水され,それは香川用水となって讃岐平野を潤しています(これは翌日探訪). 香川用水の水は,特に「徳島と香川の友情の水」と呼ばれています.
このような水運用をしなければならないのは,四国の自然条件が大きく影響しています.まずは,四国の降水量分布図を見てください(建設省四国地方建設局作成).高知県においては年間3000mm以上の超多雨地帯がごく普通にある(吉野川上流域もそう)のに対して,北部の讃岐平野周辺は1000mm〜1250mmという日本有数の少雨地域なのです.そのため,高知側各河川や吉野川では氾濫の被害が頻発するのに対して,讃岐平野(および松山周辺)では慢性的な水不足が起こるのです.やれやれ.そこで各県間で水を融通しあっている,というかそうしないと産業の発展が望めないわけです.もちろん発展などしなくてもよいというなら話は別ですが…
なお,この管理所で頂いた資料の名前を記しておきます:
そんな中で,早明浦ダムの位置付けはどのようになっているのでしょうか.一応「公式見解」からすると,早明浦ダムの直接の役割は次のようになっています:「洪水調節(4700m3/s→2000m3/s)」「維持用水の確保(灌漑季45m3/s,非灌漑季15m3/s」「新規用水の補給(33m3/s)」「発電(Max. 42,000kw)」.このうち,新規用水という点において,早明浦ダムは四国四県とつながりをもっています.正確に言うと,高知・愛媛両県に行く分の水は早明浦ダムとは直接の関係がないのですが,そこで「取られた」(←吉野川の側からみると)水を赤字補填するために早明浦ダムの新規用水が使われるというわけです.香川へ行く分の水は池田ダムから取水されますが,池田ダムに必要な量の水が流れ込むようにするのも早明浦ダムを含む上流ダム群の役目だというわけです.上手くいっていればいいんですが,どうなんでしょうか…
そんな役目を担っているダムですが,運用はなかなか難問続出のようです.たとえば濁水問題.ダムは広大な止水域を作りますので,そこで細かい浮遊物質(早い話が泥)がぶらぶらしているわけです.洪水時に一気に貯水池に流れ込んだこういう泥んこ物質が長期間貯水池にたまり,放流水がいつまでもにごりつづけることになります.そうなるとイヤなのは,まず観光業界(大歩危では船下りがありますからね),鮎釣り関係者,それから上水道管理者です.これが洪水濁水です.
一方,早明浦ダムに特有の不思議な濁水として,渇水濁水があります.これは普通のときに貯水池底に厚さ6〜7mに溜まったコロイド物質(これ自体は流域の地質条件によって生成される)が,渇水時の水位低下→貯水池底の侵食に伴ってどんどん削りだされ,水がにごる現象です.洪水でもなんでもないのに水がにごるというのは,確かに厄介な話です.大雑把に言うと,8月はこの渇水濁水,9月は上述の洪水濁水に悩まされるのだそうです.ダムとしてはいろいろな手を打ってはいるものの有効打がないとのことでした.
さて,これは水資源開発に伴って許容しなければならない程度の痛みなのでしょうか?それとも違うのでしょうか?
1999年8月の神奈川県玄倉川キャンプ水難事故のときにもそうでしたが,とにかくダムというのは悪者にされます(→筆者による参考資料).また,そういった指摘が100%間違っているわけではないので頭から否定することもできません.しかしながら,中にはとんでもない大間違い・単なる先入観に基づくものetc.があってなかなか大変です(それは今までの長い長い歴史的経緯に端を発するものなのですが).さて,このダムはどのような指弾を受けているのでしょうか.一つ挙げると,過疎の原因とされているのです.早明浦ダム堤体は土佐町・本山町の境にあり,貯水池はほとんどが土佐町と大川村にあります.で,この大川村(貯水池より上流です)は思いっきり過疎地域で,今や人口400人以下.これがダムのせいにされているわけです.
これに対するダムの人の言い分はこうでした.大川村は,白滝鉱山という鉱山で栄えたところで,その閉鎖(1972年.ちょうどダム建設・運用開始と同じ頃.)が主な原因なのだと…なかなか複雑なようです.こうなると,よそ者の私に何が言えるものではありません.なお,現在ではその鉱山跡地周辺に自然王国白滝の里という自然派レクリエーション施設ができているようです.
上記の配布資料の中に面白いものがありました.プレスリリース資料「台風6号洪水における吉野川上流ダム群の洪水調節効果について」です.なんと日付はこの日のもの.できたてほやほやの資料です.これによると,台風6号は早明浦ダム上流(長沢地点)で7月27日5時から計493mmの雨をもたらし(最大降雨強度49mm/h),早明浦ダム流入量は最大470m3/sになったものの,ダムの調節で1390m3/s分カットし(よっぽど空だったんだな…),下流本山橋地点で3m18cm水位上昇を抑えた,ということでした.
記者発表資料,ということは,新聞に出る可能性もあるのですが,しかしこういう記事は見たことがありませんね.あまりニュース性がないのでしょうか.残念なことですね.もちろん世の中には発表だけされても報道されず土に埋もれてゆくプレスリリースは星の数ほどあるので,何もダムだけが特別というものではありませんが…(まさかマスコミには建設省の発表を黙殺するような風土がありはしないでしょうね?).なお,参加者の間からは,プレスリリース資料について「こんな図じゃもらった記者の方のほうが困りますよ!」云々と文句&改善案がビシバシ出されたことを付記しておきます.厳しいねみんな…って他人のこと言えないんですが(笑).
早明浦ダム堤体の上を見学しました.そうすると貯水池の上,えらく高いところに村があります.おっと,これは四国の山村の典型.村が川のそばではなくて思いっきり山の中にあるのです.それも山の中の一番傾斜の緩いところを見事に選んで集落が立地しているのです.これらの多くは地すべり地形と呼ばれる地形です(ただし,写真の地形は地すべり地形である確証はありません.地形図を見る限りでは,付近の同程度標高のところに緩斜面がいくつか分布しており,高位段丘である可能性を否定できません).地すべり地は,適度な水はけを持ち,容易に水が得られることが多く,そして緩傾斜地になりがちであることから,村を作るにはなかなかいいところです.ただ一点,これがかつての地すべりでできた土地で,もしかしたら今後もう一度村の下の土のカタマリが動き始めるかもしれないという点を除いては….この「今に動くぞ」というわけで大工事が行われている個所を翌日見学しました.土壌侵蝕を研究していて,常々「日本の土砂移動の動態を知りたい」と希望していた留学生の方が大喜びだったことは言うまでもありません.
この写真の村は,今でこそ貯水池から150〜200m程度しか高くありませんが,ダムができる前は当然川底からはるか上にあったわけで,その「山奥度」が想像できます.四国山地は,とにかく川のそばの平地というものが少ないのです.そして人々は山の中のわずかな地すべり地をガンバッて開墾し,住み着いてきたのです.地すべり地形は翌日さんざん見る羽目になりましたから,そこでまた紹介します.
ダム管理者が最近力を入れていることが「上流住民と下流住民との交流」です.その一つとして,「早明浦ダム1万本植樹祭」というものが開催されました.吉野川の水源地域である吉野川上流部(いわゆる「嶺北」)の人々と下流四県の人々が親睦を深め,水源地域の緑と湖を守ることを目的とした会です.
受領資料のうち「みんなで守ろう森と湖」がその説明パンフでした.おっとあの宮脇昭先生が登場だ(今や常識となっている潜在自然植生という概念を日本に始めて導入した人.「森の復活」といえば,やはりこの人でしょう).ダムの周りだけ植樹したってしょうがないじゃん…とシニカルなものの見方をすることも可能ですが,しかしこれを第一歩として流域全体の水循環系の保全にまで上流住民・下流住民の相互協力が成立すればいいなとも思ったものです.
川はすべてつながっている.言われてみれば当たり前のことですが,たとえば流域という言葉の意味すら一般には理解されていない現状(私自身,大学で地理学の勉強を始めるまで全く知らなかったことを白状します)では,そのことは「世間の常識」とはなっていないのです.だから私たちはもう少し社会に向けて情報を公開・発信する必要があるのです.
ダムのてっぺんにある「クレストゲート」を少しだけあけて水を放流しています.開度はわずかなものでしたが,それでも流れ落ちる水の重量感,下の川底に当たって砕け散る泡の軌跡は,なんとも底知れぬ恐ろしさを覚えさせるものでした.ちなみに計画放流量は2000トン/秒ですから,そのときはいったいどんな光景が見えるのか想像を絶しますね.こういう水の力というのは,やはり写真や映像では分かりにくいものです.できれば本物の大洪水を身近に見ていただければいいのですが…それだと命が危ないですね(苦笑).
ここで,早明浦ダムがどのような位置にあるか書いておきますと,NW-SEに流れる深い谷の川を直角に横切るように堤体があります.堤体の高さは100m強で,非常に傾斜の強いコンクリート壁です.つまり堤体の上から下流を見ると,東を急角度で見下ろすことになります.で,このとき我々は午後遅くに行きました.つまり(もし晴れていれば)下流を見たときに太陽光を背中から浴びることになったわけです.しかし現実には雨が降ったりやんだりでした.皆傘をさしたり閉じたりと忙しいものでした.降るなら降るとハッキリしろ!と誰もが怒りたくなっていました.
奇跡が起きました.下流側に雨が残っているのに突如として上流側が晴れ,強い陽光がさしてきたのです.すると当然のように,いやまるで昔からそこにあったかのように,美しい虹が,完全な形で下流側に現れたのです.石を投げれば届きそうな近さ,筆者の下手な写真では分からないかもしれませんが(苦笑),その光は大変強いものでした.7色どころではありません.いったい何色に分けられるか皆で競争してみたいような光でした.なお,よく見ると主虹(内側が青)の外側にはっきりと副虹(内側が赤.ただし写真では薄い(泣))も見えています.副虹まではっきり見えるのは相当条件が良くなければいけません.我々にとっては大変なプレゼントでした.下流の雨と上流の快晴をもたらしてくれた雨男晴れ女コンビ(筆者注:両方とも当研究室に実在します)に感謝感激.普通の観光旅行なら,この虹が「一番思い出に残る風景」となったでしょう.
だいたい,虹を見下ろすなんていうのはなかなかできることではありません.半円を描いた虹の両側の脚を同時に見たのも久しぶりでした.皆で虹をバックに集合写真大会となったのは言うまでもありません.また,帰る途中にダム下流からも雨の中集合写真をとりました(大判では公開しません.あしからず).
ダム堤体の上から下流の地形観察をしていたときに,背後の山から供給された土石流堆積物の上に載っているんじゃないか?と思った集落がありました.いや,集落というよりは結構な街です.大丈夫なのだろうか…と思っていたところ,バスはなんとその市街に入ってゆきました.ありゃ,ここが今晩の宿泊地.
宿泊場所高知屋旅館は,全体としては和風の造りでした.増築に増築を重ねて迷路状になっているあたりが,いかにも「老舗の旅館」です.さて,おっと,近くに小川の音がします.軒下くらいを通っているようです.ところが屋内からは見つかりません.「?」と思って探しに行くと,その川は隣家との間をとおり,そして流路の上にまで建物があるのでした.言い忘れましたが,旅館自体は山地と沖積錐の境界線くらいにたっています.「ということは…」と思っていたら,なんとまあ,その川は土石流危険渓流に指定されているのでした.確かに一目みて危ない勾配です.
天気は雨です.「これはまずい…」と思って緊急時避難経路を確認しておいたのは言うまでもありません(何部屋かに分かれた私たちの中で,実は一部屋非常に危ない部屋があったのですが,そのことを指摘する前に大酒が入ってすっかり忘れてしまいました(笑)).無事一夜を過ごせたら朝は付近の地形観察をしてみることにしよう,と思って床に着きました.