はじめに
インド亜大陸における過去の降水プロキシ(年輪, 鍾乳石など)に含まれる水の安定同位体比 (δ18OおよびδD)は, 過去のインド夏季モンスーン(Indian summer monsoon; ISM) の変動をより深く理解し, 解釈することを可能にするツールです.
これまでの研究により, インド亜大陸周辺における降水の安定同位体比は, 降水の起源(降水のもととなる水蒸気が蒸発した地域)により大きく変動することが示されてきました.
しかしながら, この地域における降水は陸上から蒸発した水蒸気の影響が大きいにも関わらず, 既往研究ではラグランジュ的なアプローチを基にしていたためか, 陸上から蒸発した水蒸気の影響が十分に考慮されていませんでした.
研究目的
本研究では, 2010年にバングラデシュの3地点において降水の安定同位体組成を観測し, 水の安定同位体比を組み込んだ大気大循環モデル(同位体大気大循環モデル)を用いて, オイラー的なアプローチにより降水の起源を推定しました. そして, これら推定された降水の起源を基に, 降水の安定同位体比の変動要因を考察しました.
結果と考察
この観測では, 降水量の時間的な変動特性は観測地点間ごとに異なっていましたが, 降水の安定同位体比の季節変動および季節内変動(2~4週間程度)は地点間で類似した変動を示しました. これは, バングラデシュにおいて観測された降水の安定同位体比は, バングラデシュ以上のスケールを持つ大気循環によって支配されていることを意味します. また, この降水の安定同位体比の季節内変動は, バングラデシュ周辺域における組織的な対流活動域の推移と関連していました.
同位体大気大循環モデルによるシミュレーション結果は, 3月中旬から6月上旬までのpre monsoon期における高いδ18Oを持つ降水は, ベンガル湾とアラビア海から蒸発した水蒸気を起源としていることがわかりました. ISM期(6月中旬から10月初旬)では, 主にインド洋から蒸発した水蒸気が大きく寄与しており, ベンガル湾とアラビア海から蒸発した水蒸気の寄与は減少していました. このインド洋から蒸発した水蒸気は, 水蒸気が輸送される際に, 多量の降水をもたらしたため, それによってδ18Oが減少していました. Post-monsoon期(10月中旬〜11月)の降水は, これら海域から蒸発した水蒸気の寄与は低かったですが, 太平洋や陸域から蒸発した水蒸気の寄与が高くなりました. このPost-monsoon期に陸域から蒸発した水蒸気は, ISM期にもたらされた低いδ18Oを持つ降水に起因するため, Post-monsoon期における降水のδ18Oを減少させたと考えられました.
これらの結果は, 降水の起源と組織的な対流活動の推移が, この地域における降水の安定同位体比の変動を支配する要因であることを示唆しています. これらの特性は, 水の安定同位体比に基づいたモンスーンの開始と終了を同定するために使用することができると考えられます.
詳細は下記論文を参照ください
TANOUE M, K Ichiyanagi, K Yoshimura, M Kiguchi, T Terao, T Hayashi. Seasonal variation in isotopic composition and origins of precipitation over Bangladesh. Progress in Earth and Planetary Science, 5(77), https://doi.org/10.1186/s40645-018-0231-4 [PEPS]
(a)NCEP OLRによるバングラデシュ周辺域(85°E–97.5°E)における組織的な対流活動の推移。青色のシェードは対流活動が活発な領域を意味する。(b)2010年に観測されたダッカにおける降水の安定同位体組成(☓印)と降水量(棒グラフ)の日変化。(c) 同位体大気循環モデルによって推定された鉛直積算水蒸気量とその内訳の日変化。色の違いは水蒸気起源の違いを意味する。
(a) Hovmöller diagram of the NOAA interpolated outgoing longwave radiation (OLR, W/m2) averaged over 85°E–97.5°E. (b) Daily variations in the amount (bar) and δ18O values (cross) of precipitation in 2010 at Dhaka. (c) Daily variation in the total precipitable water (white solid line) and its origins at Sylhet (a), Dhaka (b), and Chittagong (c) simulated by IsoGSM. Differences in shading color denote variation in the different vapor source regions.