2-2 水質汚染物質,硝酸の発生と流れを追う
2-2-1 背景
これまで当研究室,および世界の研究機関によって世界水資源アセスメントという試みがなされてきました.
これは,現在や将来における世界の水資源の逼迫の度合いを評価しようというものです.
しかし,これらの研究は,水資源の量のみに着目しており,水質への考慮は含まれていません.

図2-2-1 これまでの世界水資源アセスメント
そこで,当研究室では,今後,この世界水資源アセスメントに水質に関する情報を盛り込みたいと考えています.
まずは,水質汚染物質のひとつである硝酸を対象とし,特に,窒素肥料を起源とする硝酸について研究を行いました.
なお,本研究は,全球を0.5度の緯度経度ごとに分割したグリッドを用いて行いました.
2-2-2 硝酸とは?
硝酸は,その発生源が世界中に広く分布し,発生量も非常に多い物質です.
特に,農業に用いられる肥料や,家畜の排泄物など,食糧生産に伴って大量に発生するため,
今後の人口増加や経済発展による食糧の増産によって,さらに汚染負荷量が増大していく可能性があり,
重要な水質汚染物質であるということができます.
飲料水に硝酸が多く含まれると,メトヘモグロビン血症を引き起こします.
これは,血液中のヘモグロビンがメトヘモグロビンに変化し,酸素運搬能力を失ってしまう症状です.
赤ちゃんがこの症状に陥ると,唇が青くなってしまうことから,ブルーベビー症候群とも呼ばれます.
この問題は,これまで世界で3000例が報告されており,実際にはさらに多くの発症例があるのではないかと考えられています.
その他に,体内で発ガン性物質となったり,農業用水に過剰に含まれる場合には作物の倒伏を引き起こすなどの影響があります.
| 色々な硝酸濃度 | 硝酸濃度 (mg/l) |
| WHO基準 | 11.3 以下 |
| 日本の基準 | 10.0 以下 |
| 南アルプスの天然水 | 0.42 |
| 六甲のおいしい水 | 1.77 |
| vlovic | 1.22 |
| evian | 0.61 |
表2-2-1 環境基準とミネラルウォータの硝酸濃度
2-2-3 世界の窒素肥料使用量分布
ここからがいよいよ本題です.はじめに,アメリカ地質調査所(USGS)の30秒グリッドの土地被覆情報データから,0.5度グリッドにおける農地面積を計算しました.
0.5度グリッドは,30秒グリッドが縦横に60コ並んだものなので,農地の分だけを足し合わせて割合を算出します.

図2-2-2 世界の農地の分布
これに,国連食糧農業機関(FAO)の国別窒素肥料使用量データ(2000年のもの)を合わせて,年間の窒素肥料使用量のグローバルな分布を推定しました.
国ごとに,単位面積あたりの施肥量は一定であると仮定します.そして,1ヶ国ごと,順に窒素肥料の年間使用量を,その国の農地面積の合計
(後述の農事暦を用い,二期作の場合には倍の重み付けをしています)で割り,単位面積あたりの施肥量を求めます.
これに,グリッドごとに農地面積をかけることで,窒素肥料使用量の分布が求まります.
この作業を全ての国に関して行い,グローバルな窒素肥料使用量の分布を推定しました.

図2-2-3 窒素肥料の年間施肥量の分布
これで,施肥量の全球分布が求まりましたが,これをさらに,月ごとに分解します.
月ごとへの分解には,クロップ・カレンダーを用います.
クロップ・カレンダーとは,地球上の各グリッドにおいて,気温や河川流量をもとに,各月が耕作にどの程度適しているのかを点数化したものです.
この点数が最大となる連続した5ヶ月間を耕作期間とし,さらに,残りの7ヶ月のうちでも栽培の基準を満たす5ヶ月間が取れれば二期作として,さらに5ヶ月間の栽培期間を設定しています.
この,栽培期間の5ヶ月間のうち,1ヶ月目に基肥としてグリッドでの年間施肥量の60%(二期作の場合は30%)を,
3ヶ月目に追肥として40%(二期作の場合は20%)を配分します.
このように,施肥量を12ヶ月に分割したもののうち,4か月分のみ示したものが,以下の図2-2-4です.




図2-2-4 月別の施肥量の分布 (左上=2月,右上=5月,左下=8月,右下=11月)
2-2-4 土壌内での窒素の挙動
これまで,窒素肥料がどの程度投入されているのかを推定しましたが,ここでは,農地に投入された窒素がその後どうなるのかを推定します.
窒素分を大きくアンモニア態と硝酸態とに分けるとします.アンモニア態窒素は作物により吸収される分,揮散して大気に放出される分,
そして,硝化して硝酸態窒素となる分があります.アンモニア態窒素は土壌粒子と電気的に引き付けあうため,ほとんど溶脱しません.
硝酸態窒素は作物に吸収される分,脱窒により大気に放出される分,そして,地中へと溶脱する分とがあります.
これらの流れをイメージ化したものが図2-2-5です.

図2-2-5 土壌内での窒素の挙動のフロー
これら
- 作物による吸収
- アンモニアの揮散
- アンモニアの硝化
- 硝酸の脱窒
- 硝酸の溶脱
を計算し,硝酸の溶脱量を1年分合計したものが,図2-2-6です.

図2-2-6 年間の硝酸溶脱量の分布
2000年には,全世界でおよそ8090万トンの窒素肥料が使用され,そのうち約18%が溶脱したという推定結果となりました.
気温の高い地域のほうが作物による吸収が多く,溶脱量が少なくなるという結果も得られています.
2-2-5 全球河川流路網モデルを用いた流下計算
2-2-4で推定された,農地から溶脱した硝酸を,以下の仮定の下で流下させるシミュレーションを行いました.
- 溶脱した硝酸は河道に直接流入する
- 流速は0.5m/sで一定である
- 途中,ダム貯水池や湖沼における滞留はないものとする
- 河道内などにおける浄化作用はないものとする
また,用いた全球河川流路網モデルは,TRIP(Total Runoff Integrating Pathways)という,当研究室で数年来開発されてきたものです.
これは,図2-2-7に示すように,各グリッドで,流下方向を8近傍のグリッドのいずれかに向かうようにしてデジタル化したものです.

図2-2-7 流路網のデジタル化
こうして作られた流路網の北米部分を示したのが図2-2-8です.

図2-2-8 TRIPの北米部分
ここでは,流下シミュレーションの,ミシシッピ川流域についての結果を紹介します.
TRIPによるミシシッピ川流域と硝酸の溶脱量の推定結果を合わせたものが図2-2-9です.

図2-2-9 TRIPにおけるミシシッピ川流域(黒線内)と硝酸溶脱量の推定
これを,先ほどの仮定に従って流下させてみたところ,図2-2-10に示すような硝酸濃度が推定されました.
なお,濃度は,河口への硝酸の到達量を,TRIPによる既存の流量シミュレーションにより求められた河口での流量(図2-2-11)で割って算出しました.

図2-2-10 年間の硝酸溶脱量の分布

図2-2-11 年間の硝酸溶脱量の分布
この計算結果では,河口への年間の到達量が180万トン程度となりましたが,この数字は,USGSなどによる観測結果(100万トン程度)よりやや過剰です
(実際には肥料以外の起源もあるため).
これは,シミュレーションにおいて仮定した項目が影響しているものと考えられ,今後はこの点について改良を加えていく予定です.